Kid Ory

基本情報
生年月日
1886/12/25(La Place, Louisiana)
命日
1973/01/23(Hawaii)
使用楽器
経歴

Kid Oryは、ニューオリンズから30マイルほど離れたラプレスという田舎町で生まれた。父がフランス系、母がインディアンと黒人、スペイン系の混血であり、白人的な顔立ちのクリオール家系であった。はじめて楽器に触ったのは7歳の時で手製のバンジョーを弾いていたと伝えられる。1900年頃には、14歳にしてラプレスのストリングス・バンドのリーダーをつとめている。その後、トロンボーンに持ちかえるわけだが、かれのトロンボーンの演奏スタイル(テイルゲイト・トロンボーン)には、このバンジョーを演奏していた経験が生かされているのではないか、という説もある。

1905年にBuddy Bolden’s Bandにヴァルブ・トロンボーンで参加したという話もあるが、これは信憑性のある説ではないようだ。Buddy Boldenの誘いを断ったとも言われている。また、この頃には、すでにトロンボーン・バンジョー・ベースをマスターしていたそうだ。1907年にニューオリンズに出てきたKid Oryは、1910年には自分のバンドをつくりベースを弾いた。その翌年、スライド式のトロンボーンに楽器を持ちかえる。

1912年から1919年にかけて、かれはニューオリンズでバンドを率いていたが、King Oliverやまだ若かったLouis Armstrong、さらにはJohnny DoddsやSidney Bechet、Jimmie Nooneらもこのバンドで演奏したと言われている。その後、1919年にロスアンジェルスに移ると、そこでKid OryのCreole Jazz Bandというバンドを率いた。このバンドは西海岸一帯で人気を得て、1922年には、黒人のジャズバンドとしては、初めてのレコーディングをしている。さらに、その翌年にはラジオ出演もはたした。

1925年にシカゴへ移ると、King Oliverのバンドに参加。またLouis ArmstrongのHot Five・Hot Sevenのセッションに参加するなどの活動をする。Jelly Roll MortonのRed Hot Peppersに参加していた事も述べておくべきだろう。ロスアンジェルスに戻る1929年までのシカゴでのかれの活躍は、白人か黒人かを問わず多くのミュージシャンに影響を与えたようだ。しかし、1929年の不況の影響から、1931年の仕事を最後に音楽の仕事から引退する。その後のかれは、郵便物の仕分けと兄の経営する養鶏場の手伝いをしていたとのことだ。

1940年代になると、リバイバルブームが起こり、Kid Oryもジャズ界に復帰する。1942年のBarney Bigardのバンドに参加し、その後自分のバンドをつくった。1944年には自身のバンドでラジオ出演。その年の8月にはレコーディングまでしている。そして、1946年には映画「New Orleans」に出演し、Louis ArmstrongやBillie Holidayらとともにプレイしている。1949年から1961年までは、おもにサンフランシスコを中心に活動していたようだが、この間に二度のヨーロッパツアーをし、また映画「ベニー・グットマン物語」への出演もしている。

1961年にロスアンジェルスに戻ったかれは、ディズニーランドでの演奏などもしていたようだが、1966年には引退しハワイに引っ越した。 1971年には、故郷ニューオリンズのジャズ祭で、演奏を披露する。実に52年ぶりの故郷への帰還だったそうだが、その後は1973年に死ぬまでハワイで過ごした。

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