クリオール(Creole)

厳密には、ルイジアナ地方に移民したフランス人やスペイン人の血を受け継ぐ人々のことを指すが、ジャズ史の上ではフランス系やスペイン系と黒人との混血を意味することが多い。ちなみにルイジアナにはほかにケイジャンというエスニックがいるが、こちらはカナダのアカディア地方を追放されルイジアナに移り住んできた人々のこと。クリオールがニューオリンズで上流社会を形成していたのに対し、ケイジャンは貧しい生活を強いられていたようだ。

フランス系やスペイン系と黒人との混血のルーツを探ろうとすると、様々な話が出てくるが、中でも興味深いのは、奴隷として運ばれてきた黒人の結婚相手が不足したため、フランスから女刑囚が送られてきたというもの。どうやら、フランス植民地時代の南部アメリカでは人種に関する考え方が非常におおらかであったようだ。女奴隷と白人の主人の間に子供ができたり、といったこともあったそうだ。

こうしたクリオールたちは、純粋な黒人ほどひどい差別を受けることなく、ニューオリンズ市民として教育を受けることができ、商業を営むことも許された。中にはクラシックのオーケストラの楽団員になったり、音楽教師をする者もいた。19世紀のニューオリンズには独特のクリオール文化があり、こうした西欧的な音楽的素養や演奏技術が初期のジャズの形成に大きな役割を果たすこととなる。

南北戦争(1861~1865)の終結は、皮肉なことにクリオールの没落をもたらした。奴隷解放令が発布されると、南部白人の怒りの矛先は北部白人だけではなく南部で裕福な生活を送っていたクリオールにもむけられた。クリオール商人に対する不買運動などが起こったことで経済的にもクリオールは困窮するが、人種隔離法によって「クリオールは黒人である」とされ、身分的にも没落していったのである。こうして西欧音楽の素養があったクリオールの音楽と独自の黒人的フィーリングで楽器を吹くニグロの音楽が混ざりあわさって、独特の音楽表現を生み出すことになったのである。人種隔離法が無かったら、このような音楽は生まれなかったかもしれない。

ジャズの誕生にクリオールの果たした役割は大きい。

サブコンテンツ

このページの先頭へ