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      <title>ジャズ用語辞典～初期のジャズ</title>
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      <copyright>Copyright 2009</copyright>
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         <title>リンディ・ホップ（Lindy Hop）</title>
         <description>1920年代後半から流行したカップルダンスで、Charles A. Lindberghが大西洋無着陸横断飛行に成功した（1927年5月）ことにあやかって命名され、それが人気を呼ぶ要素となった。

1927年から1930年代初めにかけてSavoy Ballroomなどで大活躍した&quot;Shorty George&quot; Snowdenや、Leroy &quot;Stretch&quot; Jonesなどが初期の代表的な踊り手。他に、1930年代から1940年代にかけて、Whitey&apos;s Lindy Hoppersで活躍したFrankie Manningが有名である。</description>
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         <pubDate>Fri, 18 Aug 2006 00:35:56 +0900</pubDate>
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         <title>レントパーティ（Rent Party）</title>
         <description>ハウスレントパーティとも呼ばれる。

1920年代前後のシカゴには、多くの南部出身の黒人が移住してきた。当時、黒人居住区に住むことしか許されなかった黒人の人口が急増したため、黒人居住区の住居不足という事態になる。需要と供給のバランスが崩れ、シカゴの黒人居住区の家賃は値上がりし、黒人たちの普通の労働賃金では家賃が払えないという現象が起こったのである。

そこで、黒人居住区の住人は家賃をかき集めるためにプライベートパーティを開き、これが「ハウスレントパーティ」（家賃パーティ）と呼ばれた。一回に約50セントの入場料で、簡単な料理とジャズ・ピアノの演奏が楽しめたという。1920年代初めから半ばくらいまで行なわれていたそうである。</description>
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         <pubDate>Fri, 18 Aug 2006 00:00:45 +0900</pubDate>
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         <title>リバーボート（Riverboat）</title>
         <description>アメリカ中央部からメキシコ湾にそそぐ大河ミシシッピーは、19世紀以降のアメリカ東部において重要な交通手段の一つであった。この河を上下する蒸気船の中には豪華な船もあり、旅行者に愛用されたという。特に20世紀初頭にはジャズ・バンドやショー・グループをかかえる船も出現し、客を楽しませた。

20世紀初頭のリバーボートのジャズバンドの中でも特に有名なのが、Louis Armstrongが若き日を過ごしたというFete Marableのバンドで、Fete Marable自身はニューオリンズ出身ではなかったものの、腕利きのニューオリンズの演奏家たちを擁していたこのバンドは、旅客たちの人気を集めた。

彼等の音楽がどのようなものであったかについては、録音から聴く限りでは、ニューオリンズの音楽家が中心であった事もあり、20年代のニューオリンズ録音とさほど差があるようには思えない。だが、Fete Marableがピアノだけでなくサーカスなどで使われる汽笛オルガンも用いたと伝えられるように、おそらくショー的な要素も強かったに違いない。

ともかく、腕利きのニューオリンズのジャズメンを乗せた蒸気船が、ミシシッピー河を上下する事によって、メンフィスからセントルイス、カンザス・シティ、ダヴェンポートというように、各地にジャズが広まっていったことは確かだろう。</description>
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         <pubDate>Fri, 18 Aug 2006 00:00:08 +0900</pubDate>
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         <title>ミンストレル・ショー（Minstrel Show）</title>
         <description>ミンストレル・ショーとは、19世紀中期頃からアメリカで人気を得ていた舞台芸能の形式の一つである。その初期においては、白人歌手やコメディアンたちが、ニグロの訛り、動作、踊り、歌などを真似るという舞台芸であった。白人芸人たちは顔を黒く塗ってニグロに扮して歌ったそうだが、のちに黒人たちによるグループもあらわれた。この舞台芸は、19世紀後半の頃になると、一つの劇場での長期上演されるなど、立派な大衆娯楽の地位を得た。

曲の多くは白人の作曲家が担当し、Stephen Fosterも曲を提供していた一人である。また、1890年代には「Carry Me Back To Old Virginny」の作曲者として有名なJames Bland（彼は、なんと黒人であった。）が、ミンストレル・ショーの一座を率いてイギリスに渡り、好評を博したという。この時代に黒人芸人がこのような活躍をしていた事は意外だが、このJames Blandの長期滞在の影響で、イギリスにも多数のミンストレル・グループが出現したそうだ。

1910年代になると、ラジオや映画の普及によって、その大衆芸能としての地位を失う事となる。しかしながら、小さなグループが多数残り、その後もアメリカ南部を巡業していたそうだ。初期の重要なミュージシャンの中には、こうしたミンストレル・グループで演奏をしていた者もいるため、ジャズの誕生にはなんらかの影響を与えているはずである。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 23:59:25 +0900</pubDate>
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         <title>ブラスバンド（Brass Band）</title>
         <description>簡単に言うと吹奏楽団のことであるが、ニグロやクリオールによるブラスバンドは、黒人的なリズムで演奏されるため、一般的にイメージされる吹奏楽団とはまったく違うものである。1880年頃からアメリカ南部に出現したと言われる。ブラスバンド発生の背景には、南北戦争で負けた南軍の軍楽隊の楽器が安い値段で売られたため、貧しい黒人でも楽器を手に入れる事ができるようになった、という事情があった。

一般的な楽器の編成としては、コルネットやトランペット、トロンボーン、クラリネットやサックスといったメロディ担当の楽器にベースラインを担当するチューバ、スネアドラムにベースドラム、といったところであろうか。

ジャズのもっとも初期的な形態であると考えられており、マーチだけではなく、ラグタイムやスピリチュアル、ブルース、民謡など非常にさまざまなものが演奏される。マルディグラをはじめとするさまざまな街の行事に参加し、黒人の葬列に加わって演奏をしたり、選挙やピクニックなどにもくり出される。この移動可能な編成により町中を行進しながら演奏するといった事が可能となる。

Danny BarkerやBunk Johnsonといったニューオリンズのミュージシャンの証言によると、20世紀初頭のニューオリンズでもっともスリリングだった音楽は、ジャズバンドではなくブラスバンドであったそうだ。多くのジャズ草創期のミュージシャンがブラスバンドでの演奏を経験しているため、ブラスバンドなしには「初期のジャズ｣は語れない。

1880年代にIsidore Barbarinによって作られたニグロが中心のOnward Brass Band。1910年頃にPapa Celestinによって結成されMutt CareyやAlphonse Picouを擁していたTuxedo Brass Band。1920年ごろ結成され、Willie、Earl、PercyのHumphrey兄弟やGeorge Lewis、Jim RobinsonなどがいたEureka Brass Band。歴史のあるブラスバンドといえば、このあたりがあげられる。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 23:58:58 +0900</pubDate>
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         <title>テイルゲイト（Tailgate）</title>
         <description>ニューオリンズ・ジャズ風のトローンボーンの演奏スタイルのことである。その代表的な奏者は、やはりKid Oryであろう。テイルゲイト・トロンボーンの創始者とされる演奏家は、自薦他薦を問わず幾人かいるが、この奏法自体は自然発生的に出現したものだと思われる。あえて一人の奏者を選ぶならば、その時期の最高のトロンボーン奏者Kid Oryの名を挙げるしかない。

20世紀始めごろ、主として屋外で演奏をしていたブラスバンド型のジャズバンドが、パレードやピクニックに同行する場合、馬車に乗って演奏をすることがあった。トロンボーン奏者は、そうした馬車の中での演奏の際、トロンボーンのスライドを操作する動作の自由を確保するために、広々とした馬車の後部に座るのが一般的であった。テイルゲイトという名前は、このトロンボーン奏者の座席の位置に由来している。馬車の最後尾でスライドを自由に動かすトロンボーン奏者は、まさにグループの尻尾のように見えたのだ。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 23:58:13 +0900</pubDate>
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         <title>チャールストン（Charleston）</title>
         <description>ジャズ・ダンスの一種。また、そのステップを指すこともある。

そもそもは、 James P. Johnson と Cecil Mack によって作詞作曲された歌曲に由来する。黒人たちによるレビュー「Running Wild」の中で、ダンスナンバーとして用いられた「Charleston」が大ヒットしたため、このダンスステップをチャールストンと呼ぶようになった。

このダンスはヨーロッパでも人気を呼び、その流行は、曲が発表された1923年から1930年代初頭まで続いた。1920年代を称して「チャールストン・エイジ」と表現されることもあるが、なんとも凄まじい流行であったようだ。

1960年頃にも一時的なリヴァイバルブームがあった。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 23:57:40 +0900</pubDate>
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         <title>シミーダンス（shimmy dance）</title>
         <description>シュミーズ（chemise）がアメリカ南部の訛りでシミー（shimmy）となったのだと言う。

ジャズなどの音楽にあわせて、肩や上半身をゆさぶり、乳房を振るセクシーなダンスのことで、1930年代のコットン・クラブ（Cotton club）のショウなどでよく踊られていた。shim-sham-shimmyと言われることもある。

古いジャズの曲で、「I Wish I Could Shimmy Like My Sister Kate」や「Shim-Me-Sha-Wabble」はこのダンスにちなんだ曲である。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 23:56:27 +0900</pubDate>
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         <title>クリオール（Creole）</title>
         <description>厳密には、ルイジアナ地方に移民したフランス人やスペイン人の血を受け継ぐ人々のことを指すが、ジャズ史の上ではフランス系やスペイン系と黒人との混血を意味することが多い。ちなみにルイジアナにはほかにケイジャンというエスニックがいるが、こちらはカナダのアカディア地方を追放されルイジアナに移り住んできた人々のこと。クリオールがニューオリンズで上流社会を形成していたのに対し、ケイジャンは貧しい生活を強いられていたようだ。

フランス系やスペイン系と黒人との混血のルーツを探ろうとすると、様々な話が出てくるが、中でも興味深いのは、奴隷として運ばれてきた黒人の結婚相手が不足したため、フランスから女刑囚が送られてきたというもの。どうやら、フランス植民地時代の南部アメリカでは人種に関する考え方が非常におおらかであったようだ。女奴隷と白人の主人の間に子供ができたり、といったこともあったそうだ。

こうしたクリオールたちは、純粋な黒人ほどひどい差別を受けることなく、ニューオリンズ市民として教育を受けることができ、商業を営むことも許された。中にはクラシックのオーケストラの楽団員になったり、音楽教師をする者もいた。19世紀のニューオリンズには独特のクリオール文化があり、こうした西欧的な音楽的素養や演奏技術が初期のジャズの形成に大きな役割を果たすこととなる。

南北戦争（1861～1865）の終結は、皮肉なことにクリオールの没落をもたらした。奴隷解放令が発布されると、南部白人の怒りの矛先は北部白人だけではなく南部で裕福な生活を送っていたクリオールにもむけられた。クリオール商人に対する不買運動などが起こったことで経済的にもクリオールは困窮するが、人種隔離法によって「クリオールは黒人である」とされ、身分的にも没落していったのである。こうして西欧音楽の素養があったクリオールの音楽と独自の黒人的フィーリングで楽器を吹くニグロの音楽が混ざりあわさって、独特の音楽表現を生み出すことになったのである。人種隔離法が無かったら、このような音楽は生まれなかったかもしれない。

ジャズの誕生にクリオールの果たした役割は大きい。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Aug 2006 23:53:28 +0900</pubDate>
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