研究というよりは雑学に近いテーマかもしれませんが、デューク・エリントン(Duke Ellington)の楽団の特徴の一つとして、メンバーの在団期間がやたらと長いことが挙げられます。在団期間の上位5名をランキング形式で紹介してみたいと思います。

ちなみに、在籍期間が10年以上のメンバーをリストアップしようとすると、その人数は膨大なものとなり、記事として収拾がつかなくなりそうでした。

更に20年以上の在籍者に絞り込んでみても、まだ10名以上のミュージシャンがリストアップされるという有り様で、デューク・エリントン(Duke Ellington)楽団のメンバーの在籍期間の凄まじさが分かります。


第5位 ソニー・グリア(Sonny Greer) 連続27年

初期エリントンのドラム奏者で、この人はデューク・エリントン(Duke Ellington)楽団の前身となったワシントニアンズ(The Washingtonians)ばかりか、1919年にデューク・エリントン(Duke Ellington)を中心に活動していたコンボ・バンド時代からの古株となります。

ワシントニアンズ(The Washingtonians)のリーダーをデューク・エリントン(Duke Ellington)が引き継いだ1924年から数えた在団期間は、なんと27年間。デューク・エリントン(Duke Ellington)との付き合い自体は、30年間を超えており、その長さには驚かされますね。


第4位 ラッセル・プロコープ(Russell Procope) 連続28年

ラッセル・プロコープ(Russell Procope)と言えば、ジャズ草創期においてはジェリー・ロール・モーテン(Jelly Roll Morton)やフレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)の下で演奏していたクラリネット奏者という印象になってしまうのですが、この人も実はエリントニアンです。

1946年以降は、デューク・エリントン(Duke Ellington)楽団に長きにわたり在団しており、デューク・エリントン(Duke Ellington)が亡くなる1974年まで在団していました。その在団期間は、なんと驚きの28年間!

そういえば、デューク・エリントン(Duke Ellington)楽団加入前に、ジョン・カービー(John Kirby))のバンドにも参加しているのですよね。常に一線級で活躍しているイメージがあります。


第3位 ローレンス・ブラウン(Lawrence Brown) 通算29年

ローレンス・ブラウン(Lawrence Brown)は、1932年にデューク・エリントン(Duke Ellington)楽団に加入したトロンボーン奏者で、同僚のジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)と共に、1951年に退団。ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)楽団で演奏していました。

ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)楽団の解散後、当のジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)は、すぐにデューク・エリントン(Duke Ellington)の下に戻ったのに対して、ローレンス・ブラウン(Lawrence Brown)は暫く自由契約のスタジオ・ミュージシャンとして活動していました。これがローレンス・ブラウン(Lawrence Brown)とジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)の在団期間に差がついた理由だったりします。

とはいっても、1960年の復帰以降は、1970年までデューク・エリントン(Duke Ellington)楽団に在籍しており、その在団期間は(連続ではなく)通算ではあるものの、なんと驚きの29年間となっています。トロンボーン・セクションの核ともいうべき存在でした。


第2位 ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges) 通算38年

ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)がデューク・エリントン(Duke Ellington)楽団に加入したのは、1928年のことで、バンドの拡大を考えていたデューク・エリントン(Duke Ellington)に彼を推薦したのはクラリネット奏者のバーニー・ビガード(Barney Bigard)だったと言われています。

1951年にデューク・エリントン(Duke Ellington)の楽団を退団すると、ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)は自身の楽団を結成して、暫くそこで活動していました。その後、ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)楽団の解散後の1956年にデューク・エリントン(Duke Ellington)楽団に出戻っています。この時の退団の理由には諸説ありますが、待遇の悪さに不満を持ったからとも言われていますね。

なお、ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)の反乱とも言うべきこの事件で、ジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)と共に退団したソニー・グリア(Sonny Greer)は、結局、デューク・エリントン(Duke Ellington)の下には戻らず、同じく退団したローレンス・ブラウン(Lawrence Brown)もその復帰が1960年と一定期間経ってからになった一方で、首謀者と思わしき当のジョニー・ホッジス(Johnny Hodges)は、すぐにデューク・エリントン(Duke Ellington)の下に復帰しているのが、なんとも可笑しいです。

退団していた期間がある為、連続記録ではないのですが、通算での在団期間は驚きの38年間。一つのバンドに40年近く在籍しているというのは、なんとも不思議な人生ですね。


第1位 ハリー・カーネイ(Harry Carney) 連続48年

そして、デューク・エリントン(Duke Ellington)楽団の在団期間の第1位は、バリトンサックスの代名詞と言うべきハリー・カーネイ(Harry Carney)です。その期間は、なんと48年間連続という凄まじいもの。

ハリー・カーネイ(Harry Carney)がもともと演奏していたのは、アルトサックスやクラリネットだったわけですが、1928年に楽団を拡張した際に、バリトンサックスのパートが欲しかったデューク・エリントン(Duke Ellington)がハリー・カーネイ(Harry Carney)にバリトンサックスへの転向を要望しました。以後、ハリー・カーネイ(Harry Carney)は、バリトンサックスに専念するようになったわけですね。

当初は、エルマー・スノーデン(Elmer Snowden)の下で演奏していたジョー・ガーランド(Joe Garland)を引き抜こうとしていたという話もあり、この時にジョー・ガーランド(Joe Garland)が首を縦に振らなかったことが、ハリー・カーネイ(Harry Carney)がバリトンサックスを吹くようになったきっかけだったと思うと、なんとも興味深い話です。

1927年にデューク・エリントン(Duke Ellington)の下で演奏するようになったハリー・カーネイ(Harry Carney)は、かくして、デューク・エリントン(Duke Ellington)が亡くなるまで、エリントニアンであり続けたわけです。

デューク・エリントン(Duke Ellington)が亡くなった際には、”Without Duke, I have nothing to live for”(デュークがいなければ生きている意味がない)という発言をしており、ハリー・カーネイ(Harry Carney)の人生は、まさにデュークの為の人生だったと言えるでしょう。

デュークの死から4ヶ月後に、ハリー・カーネイ(Harry Carney)もニューヨークで亡くなりました。天国で楽団を結成したデューク・エリントン(Duke Ellington)に誘われたのではないか……と思うようなタイミングではないでしょうか。